中性子を冷やして冷やしてすっごく冷やして、プラスマイナスゼロで中性のはずの中性子の電荷の偏りを見つけたい!それがTUCAN実験!

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中性子の電気双極子モーメント(EDM)を見つけたい

中性子はアップクォーク1個とダウンクォーク2個が強い力で結び付ついて構成されている複合粒子(素粒子が集まってできた粒子)です。アップクォークの電荷は+2/3、ダウンクォークの電荷は-1/3ですので、中性子全体の電荷は0、つまり中性です。中性子ですもんね。

そんな中性の中性子ですが、本当にどこから見ても電気的に中性なのでしょうか?遠くから見ると、中性子の電荷は構成するクォークの電荷を合わせた0に見えるのはなんとなく理解できます。ですが、とっても近くから中性子を見るとどうでしょう。もしかしたら電荷に偏りが見えてしまうかもしれません。この電荷の偏りを電気双極子モーメント(EDM)と呼び、いろいろな粒子で研究・実験が行われています。

中性子のEDMはいろいろな実験で測定されていますが、2020年にスイスのPSI研究所で行われた最も詳細な実験でも、「10-13cmというサイズの中性子に対して、10-26cmくらい詳しく見ても電荷に偏りが見られない」という結果が得られました。EDMは見えていないです。これをわかりやすく言えば、「地球サイズの中性子に対して、1μmくらい詳しく見ても電荷に偏りが見られない」というとても詳細な測定です。

本当に偏りはあるのかな…と疑問に思ってしまうかもしれない中性子のEDMですが、物理学者さんたちはこのEDMを見つけるために頑張っています。なぜなら、中性子のEDMが存在すると、物質・反物質の非対称性、つまり現在の宇宙が反物質ではなく物質で作られている理由を説明する手がかりになるかもしれないからです。

超冷やし中性子をはじめたいTUCAN実験

TUCAN実験のロゴ。オニオオハシ(toucan)とかけているそうです。

そのように見つけることができたら大発見な中性子のEDM。それを測定しようとしている実験のひとつが、カナダのTRIUMF研究所で準備されているTUCAN(TRIUMF UltraCold Advanced Neutron)実験です。日本からはKEK(高エネルギー加速器研究機構)や大阪大学、京都大学、名古屋大学が参加しています。

TUCAN実験では、加速器で作った中性子のエネルギーを奪い、とってもエネルギーの低い中性子(超冷中性子)を作ります。超冷やし中性子です。どれくらいエネルギーが低いのかというと約100 neV、速さで言うとだいたい5m/sくらい。50mを10秒で走るくらいの速さですから、頑張れば私たちでも中性子より速く走ることができちゃいそう。そんなのんびり超冷やし中性子に電場と磁場をかけることで、EDMを測定しようとしています。

この超冷やし中性子には、容器に閉じ込めることができるというとてもおもしろい性質があります。普通の中性子は透過力が高く、物質を簡単にすり抜けてしまいますが、エネルギーのとても低い超冷やし中性子は波として性質が強まり、その波長が原子と原子の間の距離よりも長くなってしまうことで、物質を通り抜けることができなくなるのです。

波としての中性子を使った実験のお話はこのあたりにも。記事に出てくるJ-PARCの中性子光学基礎物理測定装置で作った装置も、TUCAN実験で使われる予定になっています。世界はつながってる!

超冷やし中性子の作り方

TUCAN実験では、TRIUMF研究所の陽子加速器を使って超冷やし中性子の元になる中性子を作っています。この中性子の作り方は、日本のJ-PARCとほとんど同じで、ターゲットとなる原子(タングステン)に陽子をぶつけることで作られます。

TRIUMFとJ-PARCの違いは、連続的に陽子をぶつけて連続的に中性子を作るか断続的に(パルス的に)陽子をぶつけて断続的に中性子を作るかの違い。今回の実験では連続的に中性子を使いたかったので、J-PARCではなくTRUIMFで実験が計画されているのです。

陽子加速器によって作られた中性子は、まず常温の重水の入った容器に飛び込みます。重水とは、水の分子に含まれる水素原子(陽子と電子)2個の代わりに、重水素原子(陽子と中性子と電子)2個が含まれるものです。重水に飛び込んだ中性子は、重水分子に衝突してエネルギーを奪われます。さらにその内側には20K(-253℃)まで冷やされた液体の重水素が入った容器があり、そこでもさらに中性子はエネルギーを奪われます。この時点で冷中性子と呼ばれるくらいには冷えた状態になりますが、まだ超冷やし中性子である超冷中性子にはなっていません。ここから1.1K(約-272℃)まで冷やした超流動状態の液体ヘリウムの容器に入ることでエネルギーを奪われ、ようやく超冷中性子、超冷やし中性子になるのです。この状態になると中性子は容器から出ることができなくなるため、ステンレスの管を通して実験装置まで運ぶことができてしまいます。

このようにして作られた超冷やし中性子を使ってEDMを測定し、宇宙が物質ばかりである理由を解明しようとしているTUCAN実験。2024年中に超冷やし中性子の生成を開始し、2025年にはEDMの測定を始める予定です。約400日の測定期間で、世界で最も詳細なEDMの測定が可能となる見込み。このTUCAN実験の超冷やし中性子が宇宙の謎を解き明かしてくれるのか、今からとても楽しみです。

ちょっとだけ写真で見てみるTUCAN実験

TUCAN実験はカナダのTRIUMF研究所で準備されているため、なかなか直接伺うことは難しいのですが、TUCAN実験に参加されているKEKの川崎さんにお借りした写真を少しだけお見せできればと思います。

TRIUMF研究所で準備されているTUCAN実験。

これがカナダのTRIUMF研究所で準備されているTUCAN実験を上から撮影した写真です。大きな黄色いコンクリートブロックが山積みになっているホールですが、このブロックの内側で加速された陽子がターゲットに衝突しているため、これくらいの遮蔽がどうしても必要になります。

少し角度を変えた写真。

写真中央上のブロックの内側で陽子がタングステンのターゲットに衝突、そこから中性子を冷やすための装置がTUCANと描かれているブロックの内側に設置されています。そこで冷やされた超冷やし中性子は、写真中央から少し左下にある赤くて四角い部屋に導かれ、EDMが測定されます。

中性子のEDMを測定するための部屋。

超冷やし中性子のEDMを測定するための赤くて四角い部屋の中を覗いてみた写真です。なんだかすっごくかっこいい。

超流動状態の液体ヘリウムを冷やすための装置。

見た目はただの大きなステンレス管のようですが、これは液体ヘリウムを1.1Kまで冷やして超流動状態にするための装置です。この装置は日本のKEKで開発され、カナダに運ばれていきました。

このヘリウムを冷やすための装置については、こちらで詳しく説明されています。
https://www2.kek.jp/ipns/ja/post/2020/09/20200901

今回のレポートを描くにあたって、TUCAN実験のいろいろを説明してくださったKEKの川崎真介さんには大変お世話になりました。お忙しいのにもかかわらず時間を割いていただき、本当にありがとうございます!

KEKのTUCAN実験や超冷中性子に関するwebサイトはこちら
https://fnp.kek.jp

TRIUMF研究所のTUCAN実験についてのwebサイトはこちら。(英語です)
https://www.triumf.ca/node/39465

付録(マンガの横長ver.)

スライドなどに使いやすそうなレイアウトのマンガです。